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三島とバンクシー

6月16日 本当に久しぶりに人混みの中に出た。

映画と展覧会をはしごして、その帰りにテルさんの店に顔を出した。

運動不足がたたり異常に足の動きが悪く想像以上に疲れたが4カ月待った期待のイベントは

それぞれ違う意味で満足のいくモノだった。

三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜

三島由紀夫の自然な思考が垣間見える映像は見る価値有り。

肩の力の抜けた表情と菩薩のような心の広さを表現する丁寧に選ばれた言葉

彼の心底議論を楽しむ姿は一年後には、下衆なヤジの中で打てど響かない後方支援の自衛官を前に絶望の姿へと変わる。最後に割腹の血で「武」の文字を書く演出を用意していたのだが

三島は「もう いいよ」と寂しげに笑みを浮かべて色紙を受け取らなかったそうだ。

側近の殉死を止めた事からも「値しない失望感」を感じながら果てたのだろう事が窺われる。

「純粋な国を思う心」に敬意を払う事すら出来ない程度の低い自衛官と「理由なき反抗」と言われつつ、知性と感性で戦後の喪失感を具現化しようとした学生達の使命感の差は歴然としている。

 

真反対の立場で交わされるある種の「知的共感」と存在の意味など考えもしない個人・享楽主義への説法のような「かみ合わない」演説、どちらも三島の演出・主演で現代に残された遺作である。

Banksy(バンクシー)展

驚きは無い 撮影自由な気取らない思考に共感しつつ、どこか懐かしいスパイスが気に入って

少しウキウキしながら見て回った。

ロンドン ストリート ファッションの伝統をキチンと受け継ぐアートコレクションは楽しかったが日本の若者が詰めて賛美を送る理由がわからない「どこがいいとおもうの?」と聞きたくなった。

まぁ作品にとんでもない値が付く事実が理解出来ない時点で世間との感覚ズレは拭えないのだが、とにかくパフォーマンスも含めた芸術の在り方に違和感を感じる。

話題の操作に長ける事で注目が集まり、チャンスを感じたモノ達によって作品の評価はうなぎ登りひと昔前ならチープでポップな「ファッション」として扱われていたモノが「芸術」とされる事に対する違和感だろう。ウォーホルもバスキアも観た。私如きでも、時間軸を超える作品の創造性(クリエイト)を強く感じ心が震えた。それとバンクシーの作品に感じる共感とは明らかに違う。それは明らかに「好きなファッション」であり、お気に入りのミュージシャンに感じる感情と似ている。そう「デビットボウイ展」のウキウキワクワクの興奮までは届かない感じか・・・