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神・・・いるかもしれない

増えすぎた人口の調整なのか? 

そう考えれば、日本民族は放って置いても減少の一途だから大量死を免れたのかもしれない。

いずれにしても「パンデミック(世界的大流行)」その意味を考えるべき機会である事は確かだ。

まずはその歴史について簡単に触れてみよう。

感染症とは病原体が体内に侵入して症状が出る病気を指す。

病原体は大きさや構造によって細菌・ウイルス・真菌・寄生虫などに分類される。

感染症の起源は古く、感染の拡大と発症による多大な被害(パンデミック)は有史以来、これまで人類史にしばしば登場し、災厄として歴史に刻まれてきた。

科学と社会の発展により原因究明や様々な対策が進む一方で、本来備わるフィーリングは確かに「神の啓示」を感じている。

僕には信仰など無いが、そうした「戒めの心」は今まさに世の人に必要な教えのように思うのだ。

6世紀、東ローマ帝国で大規模なパンデミックを起こしたペスト(黒死病)が再び14世紀に今度は世界的大流行を引き起こした。始まりはモンゴル帝国軍が雲南省地方への侵攻によってペスト菌の宿主であるネズミと媒介するノミを本国に持ち帰り、世界中に拡散させたとの説が有力である。

モンゴル帝国がユーラシア大陸広域を平定し、陸路だけでなく海路の東西交易が盛んになった事で中国で大流行したペストがイスラーム・ヨーロッパへ飛び火した。

コンスタンチノープルを出港してシチリア島にたどり着いたガレー船によって持ち込まれ瞬く間にヨーロッパ全土に拡散、猛威を振るい、死者は2000万人~3000万人、当時のヨーロッパ人口の3/1とも3/2とも言われるパンデミックを引き起こしたのだ。

 

当然ながら、この災厄はヨーロッパの大きな社会変革へとつながる。

特に当時の農奴制を支えた農村人口の激減は農民の地位向上につながり封建領主との関係に劇的な変化をもたらす。没落する封建領主、相対的に中央集権に拍車がかかり、王権が増長して行く。

 

1492年コロンブスの新大陸発見はユーラシア・アフリカ大陸から多くの感染症をアメリカ大陸に運んだ。免疫を持たない先住民は次々と倒れ、スペイン・ポルトガルをはじめ入植者・征服者達の過酷な支配と感染症の被害によりその数は激減、深刻な労働力不足に陥った。

ヨーロッパ本国との貿易に必要な労働力を補うために、奴隷貿易が始まりアフリカ大陸から大量の黒人が強制的に奴隷として運ばれる。コロンブス交換といわれる東半球と西半球のダイナミックな交わりは表現が見つからない程 嘆かわしい人悪と悲劇を生みその痛みは今も多くの人を狂わす。

 

征服から100年後、メキシコの先住民人口は征服直前の僅か3パーセントに過ぎなかったとの試算もある。アステカもインカ帝国も、スペイン人の武力の前に彼らの運んで来た天然痘(感染症)によって抵抗する力を失っていたのだ。

ハイチの風土病であった梅毒(感染症)がコロンブス一行によってヨーロッパに持ち帰られてからインド、中国へと渡り、日本に僅か20年で到達している。

インド・バングラデシュが原発地とされるコレラ(感染症)はインドの植民地化と産業革命により飛躍的に発展した交通(蒸気機関)で驚くほど短期間に風土病からパンデミー(世界的流行病)に広がり人類共通の感染症になった。

先進諸国では、急速な都市化が進む時期と重ねて被害が拡大したので、感染症は「人の病」である以上に「社会の病」との見識が広がり、公衆衛生疫学という概念が急速に成長して行く。

コレラと並んで結核(感染症)も産業革命と同時期の都市部で大流行した。1830年頃のロンドンでは5人に1人が結核で亡くなった言われ、イギリス発の文明開化の波と共に結核が拡散したともいえるのだ。ちなみに日本でも1918年(大正7年)には人口10万人辺り257人が亡くなっており、抗生物質が開発され普及するまで長い間、死亡原因のトップであり続け「国民病」と言われた。

スペイン風邪(インフルエンザ感染症)にも少し触れておこう。

同1918年(大正7年)アメリカ合衆国カンザス州から始まったとされ、第一次世界大戦への参戦によりヨーロッパへ拡散し、当時、中立国として規制のない自由な報道が行われていたスペインでの感染被害が特に酷いという誤った印象が広まり「スペインかぜ」という呼称となった。

2年間で5億人が感染(世界人口の4/1)死者は5000万人以上、アメリカではパンデミック最初の年に平均寿命が12才低下した。当然ながら短期間で最も多くの「人(ヒト)」を死に至らしめた記録的なモノである。甚大な被害の末に集団免疫の形成により感染者が減少、収束した。

近年の研究により、鳥インフルエンザ型のウイルスが、突然変異により人感染をはじめたモノが、スペイン風邪の正体らしいと考えられ、人類が抗体を持たない全く新しい感染症に遭遇した事が、パンデミックの原因と定義されるようになった。

1929年抗生物質であるペニシリンが発見されてから感染症医療も根本的な治療法の確立に向けて進歩してきたものの、21世紀に入り新たな局面を迎えている。

2002年冬に被害報告が確認されたSARSコロナウイルス(感染症)は、2019年冬中国武漢市を起点に現在も深刻なパンデミックを引き起こしている新型コロナウイルス(感染症)と80%程度相同性が認められるいわば姉妹関係にあたる。

2012年秋に初めて確認されたMERSコロナウイルス(感染症)も同様に近縁といわれている。

 

これまでコロナウイルス感染症は単なる風邪と認識されていた。(一般の風邪の原因の10~15%がヒトコロナウイルスによるもの)しかし21世紀に入り致死性の高い新種のコロナウイルスによる人(ヒト)感染が次々と確認され出したという事である。

哺乳類・鳥類以外は感染の証拠が無く、研究では哺乳類で唯一、空を飛ぶ事が出来て進化の過程でウイルスに強い耐性を獲得したコウモリが大多数のウイルスの宿主とされている。

頑強な免疫系を持つコウモリの体内でより早く増殖するよう進化したウイルスは、コウモリ以外の動物の体内に入ると呆気なく宿主を殺してしまう。

人(ヒト)への感染には中間宿主の存在が必要と考えられておりMARSコロナウイルスについてはヒトコブラクダ、SARSコロナウイルスはジャコウネコが特定されている。

つまり、中間宿主の存在が種間伝播(スピルオーバー)による人(ヒト)感染のプロセスとする 考えで今回の新型コロナウイルスについては中国の研究者などによって今年2月にセンザンコウ(絶滅危惧種)から遺伝子配列が99%一致する新型コロナウイルスを発見との報道があった。

この感染のメカニズムが意味するところは、500年以上前のコロンブス交換となんら変わり無く、人類の悲しい程に貪欲で傲慢な行いの報いであろう。

新型コロナウイルスの最初の人(ヒト)感染者はセンザンコウの乱獲者の可能性が高いという事で自然の仕返しともとれるパンデミックは収束の兆しも見えない。

それでも、やがては集団免疫を獲得してパンデミックも自然に収束すると考えられていたのだが、最新の研究では、一定期間を経過すると獲得した「抗体」が体内で著しく減少をはじめ免疫機能が低下する事が発表された。短期間に複数回の感染する可能性が報告された事で、成り行きに任せてパンデミックを傍観するしか無かった途上国を中心に、更に事態の長期化が懸念されている。

日本においては「新型コロナウイルス感染」第一波収束が宣言され、今回の被害を上手く切り抜け変わらぬ生活を送れる人(ヒト)、これを契機に大きく生活が変わる人(ヒト)様々だろうが、 総じて言える事は「悪どいヤツ」がいっそう栄える世の中になって、社会から切り捨てられた事で当ての外れた中途半端な輩(ヤカラ)のはき違えた不平不満が今後の世を覆いつくす事だろう。

アメリカを中心とした西欧文明の考え方に長年、隷属的な服従をかさねてきた我が国には、かつて芯棒のようなオリジナル精神が存在した。それは、身近な愛に満ち溢れ、間違っても建前のカッコつけでは無く、確かに血の通った「施し」が当たり前に行われていた。

日本が日本である以上その精神が自然に継承されると思うのはむなしい幻想で今や影も形もない。結局、「分け与え」や「施し」は強者の余裕としてかたずけられ、西欧の裕福層のたしなみであるジェントルマンの精神と同様に集団の中での自己顕示欲の域を出ない。

「施し」の合理性は日本の歴史においては、たとえば身の回りに当たり前に存在した「助け合い」

の精神が、治安・教育・育児や介護など、共生の下地として近隣社会で機能し、皆の生活を自然に包み込む「道徳」として、最もシンプルに低予算で必要な人に迅速に届く「福祉の形」であった。

 占領政策によって意図的に伝承の形を破壊され、もはや取り返す事が叶わぬ文化・精神の遺産は発展途上にあった我が民族の協調を支え、敗戦からの短期間で劇的な復興の中での調和を守った。

それが何時しか都合よく個人を優先する「自由の精神」の方便に追いやられて人心から消えた時、日本は思想的背景を失った恐ろしく弱弱しい国家に成り下がったといえる。

感染症は人の病と共に社会の病である。

昨今の国家指導層の体たらくを見ても、この先も延々と続くであろう国難を戦い抜き民族の調和を守れるとは到底思えないが、各々の都合をギリギリまで優先するであろう世論は、面倒事から常に目を背け主体性を持たない傍観者として、その場しのぎの政策を結果的に容認し続けるだろう。

この局面において、安穏を続けていられる事は「ツキ」以外の何物でも無い。又は、DNAに刻み込まれた祖先の教えが「自粛」という集団行動に奇跡的な意味を持たせ民衆の一時の協調を生んで感染拡大を抑え込んだ。 いづれにしても次は無い。

 

島国という特性がただ単に身を守ってくれた時代は終わった。これからの局面は「決断」が問われそれに至る「思想」が重要になって来る。有権者と政治家と国家行政の繋がりが曖昧に放置されて70年間が経過するが、以来要約それぞれに突き付けられた「神判」のようにも思うのだ。

 

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