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世論と大衆

 令和2年(2020年)早春より瞬く間に新型コロナウイルスが世界中に蔓延して、私たち人類(ヒューマン)は未曽有のウイルス感染症の危機に直面する事となった。 まるでSFのように。

 文字通り、降って湧いて瞬く間に広がりを見せた未知のウイルス。世界中で被害が明らかに成り出す頃には、我が国でもマスコミに託しつけられた世論が政府に詰め寄るが、誰もが想定外でどうしていいのかわからない。

それりぁ~そうだ。この国の指導層には有事に備えたり対応したりする能力なんて培われちゃいない。

 

 あえて述べるなら1952年(昭和27年)7年に及んだ占領政策が表向き解除された時に、極少数辛くも生き残った志を持った政治家達は国の未来を憂いつつも、唯一国家再生の最短路線を突き進む事に全能力を集中する為に、占領政策によっていいように破壊されてしまった文化や伝統の修復、傷つけられた誇りの挽回を後回しにした。たとえ形を壊されようが栄枯より脈々と受け継がれ確かに万民に生きづいた民族の魂は易々と奪われる事は無い

それに、性急に軌道を戻せば戦勝国との軋轢も生むだろう。など、理由は様々だろうが結果的に当時の指導層の選択はこの国に奇跡の経済的復興をもたらしつつも、民族としては深刻な後遺症を残す事になった。

 占領解除を勝ち取ってから70年を迎えようとしているのだが未だに進駐軍は留まり、彼らによって制定された憲法の下、操作された民法の下で我々は生きている。どんなに言い訳をしようと、その事実を容認してきた事は国家と民族の伝統を先人より継承し守り育てるべき立場にあった私達の罪である。

 つまりあれ以来、国家としての本当の主体性なんて持ち合わせていないという事。それでも誤魔化しながら、取り繕っているうち、今では都合の良い解釈が押し付けられた幻想の美徳と重なって、哀しい程に滑稽な平和と繁栄のまやかしを世にもたらし、満足げな人々は思い思いの快楽に酔い本来あるべき人の営みや守るべき道徳の姿など考える事もしない。これが我が国の敗戦復興後の社会の現実。

 

 目の前で繰り広げられている茶番について小言を言うなら…

 ヒステリックに我鳴るテレビはこれが紛れもない現実だと思い知らせると共に、社会と人の奇妙な関係を如実に描く。エセ報道番組のコメンテーターとして招かれ、神妙な顔で茶の間に事の深刻さを語る女性学者の容姿が、日ごと垢抜けて行く様は例えようも無くグロテスクでおぞましい。 グローバルな社会の風潮がまことしやかに語られる一方で、改めて民族という隔たりや、人心の奥底に渦巻く利己主義がここぞとばかりに顔を出す。

 本音と建前が交錯して自らの立ち位置もおぼつかず、節操なく思いつくままの言動を垂れ流すマスメディア。いとも容易くマインドを操作され、気づけば昨日のニュースをそのまま鵜呑みに世を論じる大衆。そんな連中を有権者と仰ぎつつ、本心は権益の保持以外に関心の無い指導層。全てが適当に緩い関係で成り立つ世論の形成は塵程の希望もみえない。 こんな時、父の言葉を思い出す。「世も末だ」

 

 この場に及んでも、信念も決意も感じられない無能な印象を与え続ける政府の姿は、ある意味で、馬鹿正直に等身大の民族の様を表している。普段なら手前都合にかまけて、たとえお国の一大事だろうが他人事で無関心な大衆も、今度ばかりはささくれだった心で激しく批判の声を上げているのだが、実のところは自らの運命を左右するような主体的な動きなど望んでいない。単に都合の悪い結末から逃げたいだけなのだ。

ただ、過ぎ去るのを待ち ただ、耐え忍ぶ。ここにも長きに渡り民族を守ってきた雑草のような風習は息づいてはいるものの、ゲスの極みは先人達が潔く現実を直視して新たなスタートラインに立ち、一丸となってその後の新たな世を切り開いたのに対して、現世はそれぞれの立場で都合よくチョロまかし取り繕い保身に努めるので、表向きはどうにかなっているようで、その実は誰の想像も及ばぬ行き当たりばったりの出たとこ勝負なのだ。

 

 限界を超えて尚も、先送りされる事実認識と現状把握。おそらくは、敗戦の意思決定をズルズルと遅らせて、回避できたかもしれない大量虐殺を許したあの頃のように致命的な失敗を再び繰り返すのだろう。

 世界大恐慌に匹敵すると経済学者は口を揃える。これ以降の世が激変する事は避けられないという事だろう。世界大恐慌とは1929年(昭和4年)アメリカ経済の過剰な投資熱がかつて無いウォール街の大暴落を巻き起こす。産業革命(18世紀半ばから19世紀初頭)以降、工業先進国では、10年に一度のペースで恐慌が発生していたが、これは自律的回復の目処が立たない程の困難でありアメリカ経済に依存を深めていた脆弱な基盤の諸外国経済も連鎖的に破綻して行った。

 アメリカを含む、欧州列強は、当時多くの植民地を抱え、それぞれの固有の通貨を基準に経済圏を成していた訳だが、至る所で債務不履行が発生し融資が焦げ付いた。

 1933年(昭和8年)アメリカ経済は恐慌の底辺にあり、その規模は1919年の半分まで縮小し、1200万人に達した失業者が街角に溢れた。失業率は25%に達し、閉鎖された銀行は1万行に及び、2月にはとうとうアメリカ全土の銀行が業務を停止した。

 

 前年1932年に行われた大統領選で現職にもかかわらず対立候補のフランクリン・ルーズベルトに歴史的大敗を喫したハーバート・フーヴァー第31代大統領がこだわった古典派経済政策と保護貿易は結果的に恐慌を長引かせ景気を更に悪化させたのだった。

 3月、第32代大統領に就任したルーズベルトは直ちにラジオ演説を行い一週間以内に全ての銀行の経営実態を調査し預金の安全を保障する事を約束したので銀行取り付け騒ぎは収束へ向う。後に、矢継ぎ早に繰り出された大胆な金融緩和政策は信用収縮に歯止めをかけた。「ニューディール政策」と呼ばれ、それまで主流の古典的な自由主義的経済政策とは異なり、政府が市場経済に積極介入をして行く方向転換が図られたのだ。

 

 それ以降アメリカ合衆国では連邦政府が強大な権限を持って、全米の公共事業や雇用政策を動かす事となり、更に第二次世界大戦によって連邦政府の権力強化や権限が増大した。大恐慌からアメリカ経済を立ち直らさせ、V字回復を遂げさせた原動力は、第二次世界大戦の兵器生産を連邦政府が強力に推し進めた結果といえるのだが実態経済を表す株価(ダウ平均株価)は1954年11月まで大恐慌以前(1929年)の水準には戻らなかった。

 当時の日本は、明治維新(1868年)以来の文明開化の流れのままに、一応は、第一次世界大戦(1914-1918)の戦勝国に数えられたものの得るものは少なく、その後に起きた関東大震災1923年(大正12年)や金融恐慌1927年(昭和2年)によって経済の弱体化が深刻で高橋是清蔵相の卓越した経済手腕でどうにか持ちこたえていたものの世界大恐慌が発生すると貿易の柱であったアメリカ向け生糸の輸出が急激に落ち込み危機的状況に陥っていた。株の暴落により都市部では多くの企業が倒産し失業者が街に溢れた。デフレにより農作物の価値が下がった所を1935年まで長引く冷害・凶作が襲った。農村は疲弊し身売りや欠食児童が急増。生活の基盤を失った多くの民が当時日本の勢力下にあった満州、台湾、朝鮮などを目指し大陸へ渡った。

1931年(昭和6年)犬養毅内閣で4度目の蔵相に就いた高橋是清の大胆な公共事業投資と為替の下落により好調なアジア地域への貿易黒字を背景に欧米に先駆けて景気回復を遂げたが、それがブロック経済に凝り固まっていた植民地宗主国との軋轢を生んだ。1932年にはイギリスブロックから締め出されやむを得ず形成した円ブロックが貿易の対象となり、それまでの軽工業から重工業化への、官民一体の経済体制転換が推し進められた。1937年に重工業の比率が上回ると1940年(昭和15年)に国民所得は恐慌前の2倍となり景気拡大は1942年夏まで続いた。

  高橋是清は1934年6度目の蔵相に就くとインフレ抑制と財政支出削減の為、軍事費削減を断行しようとしたが軍部の猛烈な反発に合う。 五・一五事件(1932年)で犬養毅が暗殺されて以降、昭和維新と天皇親政を唱える思想は陸軍青年将校に息づき彼らの手によって1936年(昭和11年)二・二六事件が勃発。高橋是清は、恨みから襲撃の対象とされ、胸部に6発の弾丸を浴びた上に軍刀でとどめ刺しされて即死した。

 1904年(明治34年)日露戦争が勃発した時、中立の立場である英米から戦費調達を成功させたのは彼だった。世界中が大国ロシアの勝利を疑わぬ中で関税収入を担保に当時の国家予算60年分の借入を成功させたのだ。

 

 その類まれな外交・経済手腕が永遠に失われた翌年(1937年)日本と中華民国は全面戦争へ、もはや統制派(国家総動員体制)に一本化された軍部の勢いを諫めるものは無く本格的な政治介入が始まった。

 

 歴史は先人達が残してくれた道しるべ、学び思いを馳せる時、改めて人の所業は堂々巡りと知る。

 

こんな時だからこそ、ピーチクパーチク無益な声を上げるより、静かに歴史に学んではどうだろう。

 

次は伝染病と人の歴史でも取り上げてみるか?

 

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