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鹿島神宮(僕は不参加)

 

鹿島神宮への参拝をご紹介しよう。

今回も僕は不参加である。

 

東京駅から直通の高速バスが出てるというお手軽さ

約2時間で鹿島市宮中・常陸国一宮(ひたちのくに)の

鹿島神宮駅に到着です。

 

今回も天気は最高、それに今日は令和元年11月10日

天皇陛下と皇后陛下のご即位をお祝いするパレードが

皇居周辺で行る記念すべき日でもあります。

 

そんな日に初代神武天皇にまつわる鹿島神宮を参拝するのも

何かの縁かもしれませんね。

それでは参りましょう。

高速バスはこんなに綺麗、電車の駅は普通に地方の街といった感じで、

この先に鹿島アントラーズのホーム鹿島スタジアムがあるそうです。

 

ここで本日の主役のご紹介です。

ナオちゃんにママです。

脇は、双子の片割れと娘ちゃんが固めています。

 

それぞれ違ったマイペースの異色チームです。

 

こちらの鹿島神宮は

日本全国にある『鹿島神宮』の総本山であり、

千葉県香取市の『香取神宮』、

茨城県神栖市(かみすし)の『息栖神社(いきすじんじゃ)』

と共に『東国三社』と呼ばれる格式の高い神社です。

奈良時代初期の『常陸国風土記』(713年編纂・721年成立)で既に

鎮座が確認される東国随一の古社であり、

『国譲り』で有名な武御雷神(タケミカヅチシン)を祭神と

する事でも知られています。

 

鹿島神宮の創建

『神武天皇元年にはじめて宮柱を建てた』との伝承から、初代神武天皇が即位され、日本国(大和朝廷)の始まる西暦紀元前660年とされています。『飛鳥時代』には藤原氏の始祖『中臣鎌足』で有名な中臣氏が多く神職に着くなど『大化の改新』以降の東国経営強化の拠点として重要な役割を担ったようです。

鹿島神宮の発展

『奈良時代』『平安時代』藤原氏の氏神として関わりが深く、『鎌倉時代から江戸時代』武家の世にも武神として神威は維持され『源頼朝』より多くの社領が寄せられた事を皮切りに『徳川家康・秀忠』により現在の社殿一式が造営される。(国の重要文化財に指定されている)

日本三大桜門に数えられる西面参道『桜門』は1634年(寛永11年)初代水戸藩主『徳川頼房』による造営で、扁額「鹿島鳥居」は東郷平八郎の書である。 この楼門は国の重要文化財に指定されている。

主祭神である武御雷神(タケミカヅチ)は伊弉諾尊(イザナギ)が火之迦具土神(カグツチ)の首を切り落とした際に、剣についた血が岩に飛び散って生まれた3神のうちの1神であり、天孫降臨に先立つ葦原中国平定において、活躍「大国主の国譲り神話」し、神武東征に際しては神武天皇に神剣「布都御魂(フタツノミタマ)」を授けた。

古くから軍神・武神として祀られるようになった。

『御手洗池(みたらしいけ)』

神宮境内の東方に位置する神池。潔斎(禊)みそぎの地。

古くは西の一の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進み、潔斎をしてから神宮に参拝したと考えられており、「御手洗」の池名もそれに由来するとされている。池には南崖からの湧水が流れ込み、水深は1メートルほどであるが非常に澄んでいる。この池に大人が入っても子供が入ってもその水深は乳を越えないといわれ、「鹿島七不思議」の1つに数えられている。

鹿島神宮の2大宝物

韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)

別称を「平国剣(くにむけのつるぎ)」

国宝に指定されている。 制作年代は定かでないが、刀身は奈良時代から平安時代、拵えは平安時代の作と見られている。 現存する伝世品(出土品でない)の日本刀の中では古例の1つである。

フツノミタマはタケミカヅチから神武天皇に下された神剣とされ、神武天皇即位後に宮中に祀られ、

のち崇神天皇の御世に石上神宮(奈良県天理市)に遷され祀られたとされる。

鹿島神宮に伝わるフツノミタマは、上記のように初代フツノミタマがついに鹿島神の元に帰ることはなかったので後世に改めて作られたものだという。

 

常陸帯(ひたちおび)

神功皇后が三韓征伐での鹿島神の守護に感謝して奉納した腹帯であるとされる。

古くより本殿深く箱の中に納められており、現在も見ることはできない。

伝承に基づき、かつて1月14日には「常陸帯神事」が行われていた。祭事では、男女の名を記した帯の先を神前に供え、神主がそれを結び合わせ結婚が占われたという。『源氏物語』竹河の巻や『古今和歌六帖』にも記載が見え、その平安時代当時においてもすでに古い習俗と見なされている。その後、この祭事は妊婦に腹帯を授ける安産信仰に変化していった。