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私事(わたくしごと)意義とか意志

2019.09.16.を迎えた。

一年前の今日、僕は脳出血で倒れ人生は一変した。

 

今日は穏やかな一日だった。

夕食前に両親にこの一年の感謝の気持ちを伝えた。

「あっという間の1年」「お前はあの日の事を覚えていないんだよなぁ~」と言葉を詰まらせ遠い目に、それが両親の感想だった。

 

その後、あの人へ「ラブレター」を書いた。

 

「覚醒」らしい事は何もおきず、後1時間で今日が終わる。

考えようによっては、明日から新たな幕開けなのかもしれない

そうだ これから1年間かけて、ゆっくりと「覚醒」しよう。

 今日までの療養生活とは間もなくおさらば

そして、あるがままの自分を受け入れ、目覚める。

自分に言い聞かせる 自らの意志によって「覚醒」を始めるのだ。

 「ラブレター」の話題を少し… どんな風に、気持ちを表現したらよいのか わからなかった。 そもそも、特別な日を祝ったり感謝する意味がわからず、習慣を毛嫌いしていた。ほんとうに人として余裕が無く勝手で、理屈っぽく 納得しないと行動出来ないタイプだ。 だが、五十路過ぎに身体に障害を受けてから忙しい日常は消し飛んで、否が応でも「積み重ねの日々」を感じだしていた。記念の日とは、その日々を自然に振り返り「折り重なる時」に感謝し、また新たな「志」を胸にする 人それぞれの大切な契機なのだ。

その横でそっと寄り添ってくれている人に、素直な気持ちで言葉を贈る。そんな事があってもいいと思ったのだ。

「ラブレター」… 僕は続けて行く事だろう。

R01.09.17. 新たなスタートだ

 今年最後の真夏日らしい、ぬけるような青い空の下、昨日までの自分とは違う何かを求め 宛てもなく外へ、当たり前のように、うだるような暑さにやられ、干からびたカエルのようにピョコタン…ピョコタン…進む。

昨日の「ラブレター」は成功のようだった。あの人は平日なのに会いに来てくれるらしいし… 字がまともに書けないのでPCだよりだが、普通にEメールもつまらないのでオンラインにアップしてセキュリティーコードでいつでもプライベートログイン出来るようにした。我ながら上出来である。

 空が夕焼けに変わった。どこか落ちついたコントラストに「夏の終わり」を感じた。 疲れた… そろそろ帰ろう 暇人の戯れに感じるかもしれないが、これでいて 充分に、前に進む為の考えがまとまったのだ。

ほんとに疲れた こりゃ帰りはバスだな… ピョコタン長距離は非常に疲れる

 

そういえば今日は「人の目」が余り気にならなかったな~

街中を杖で歩くと、どうも自分が邪魔ものに思えて、必要以上に遠慮しながら進んでしまう。自転車に道を譲り、横断歩道を渡れず躊躇する姿に、あの人はわざと歩道の真ん中を歩き、横断歩道を突き進む、「どうしてあなたが遠慮するの? 違うでしょ…」と勇ましい

「そんなところ、あるのねぇ~」プリプリした姿がまた愛おしく、

僕はヘラヘラしているが、実のところは皆さんが思う以上に日本人の道徳心は低下していて、「和」という、戒めにより、自分を律する事で生まれる 「共存・共生」の概念は、身勝手な自己都合に押され軽んじられている。

 

おばさんの自分優先に、うまく反応出来ない僕はしばしば恐怖さえ覚えるのだが、当人は、邪魔くさ~顔で ツンケン通り過ぎる有様 こういう方が、普通に街中を闊歩(かっぽ)しているからこれも世間 怒りの前に残念で悲しい気持ちになるのだ。こういう親に育てられた子供達が、「社会の営み」のルールよりも優先される「一人遊び」を見つけて「少子化」が始まった。

つまり、「調和(バランス)」を失い、人類社会が衰退していくのは、「一人遊び(マスターベーション)」が原因という、自らを律する事の 出来ない身勝手さが招いたとする新たな仮説だ。なんのこっちゃ…

 

はぁ、自らの存在意義を見つけることがこんなにも難しいとは…

やはり「労働」が多くの問題を解決へと導いてくれるように思うのだが、それこそ、自分に価値や意義を感じてもらう事が出来なければ、得る事が出来ないのだ。 腐らず地道に探すしかないのであろうが… 虚しい。

しばらくは、 職探し と マンション処分に専念するとしよう。

 

私事(わたくしごと)は、しばらくお休みしようかと思います。

次の予定もありません…