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やりたいこと掲示板 ①

僕は35年間以上ファッション産業に従事してきた。業界への入り口はメンズも手掛けたがほぼレディース中心だ。

サラリーマン時代の後半は、下請メーカーの営業マンとして、ショップブランドと取引をして製品の企画生産を請負う仕事だった。 納めた商品が売れなければ斬られるという、厳しい環境で競争相手は専門商社、景気後退デフレが決定的になってからは特に厳しく、「服」との付合いだけが日々のよりどころだった。

 

それでも1983年から1992年 最初の10年は、本当に刺激的な日々で  今  思えば夢のように楽しかった。

2016年12月から2018年9月まで短期間だが自分のお店を持った。これまでも数多くの「店」を運営してきたが、純粋に自分だけの店はこれが初めてだった。

 

もはや、営利の追求を目的にした店に、興味は無かった。なにか別の存在意義を探していた。

頭にヒントがよぎった所で、病に倒れ、志半ばで店をたたむことになる。

 

ところが「病に倒れた事」がきっかけとなり、また「店」を夢みるようになった。

後遺症で心が閉鎖的になったり行動が制限される日々、これまでの人生を振り帰り、物事の心理や根源について考えるようになった。

余談であるが、僕がファッション業界に入った頃の話しを書こう・・・

大学への進学は考えず、何か技術が身につくような仕事がしたくて、金属加工の地元企業に就職した。3交代勤務で常に安全靴で過ごす職場だった。

ある時、新たな仕事を習得する為に、旋盤加工機を習い始めた。それはキャタピラの軸にドリルで穴を開ける加工でかなりの正確さが要求され面白そうな仕事だった。

楽しくて熱中したが、工場の中で妙に機密的な扱が気になった。

しばらくして組合の会合で理由がわかった。

農耕機械用のキャタピラだとばかり思っていたが、三菱重工の下請けで戦車用のキャタピラだと聞かされた。(輸出は禁止されているが内需用は生産可)

1983年当時、僕は好きな音楽がもとで左翼にかぶれていた。また、兵器を大っぴらに製造する事は社会的にも、批判の強い時代だった。

当然、僕は上司に喰ってかかったが、まともな回答は得られず、というか相手にされず、結局仕事をボイコットして放浪の旅に出た。

19歳だった。何日目かに原宿明治通りをうろつき、ビル地下の集合店舗のカッコよさに、ほれ込みアルバイトを申し込んだのが「ファッション」業界で働くきっかけだった。

その後、バイトの実地試験に落とされ、再面接されたりしている間、何日も新宿の地下街に寝泊まりしていたのを思い出す。

苦労の末にどうにか希望の会社で働き出した・・・『道楽屋』という会社名だった。

そこは、正に原宿伝説のような会社で当時すでに原宿中に20店舗くらいは洋服屋を展開していてその後、新宿の路面、一等地に巨大な店舗を構えるまでに成長する。当然ながらなんの予備知識も無く「ファッション」とも縁遠い青春だったが一変した。

『カリスマ』は社長と呼ばれていた。そして部長はその『妻』で最大の理解者であり難解な教えの体現者でもあった。

カリスマの教え、わかりわやすく言えば『流行予測』だが『構造心理学』を体系化したもので、『こだわり』ごとに人の飽きるスピードの周期を解明し予測パーツを組み合わせて次の流行を捉えるというある種の『仮説』をたてて自分の売場で『検証』するという学者のような事をしていた。 根源には宮本悦也先生(存命88歳)の『流行学』という教えがあり、この方を

師と仰ぐファッション業界の経営者は

当時、多くいたと聞いた。

『道楽屋』は原宿サクセスストーリーそのものだった。

70年代後半から80年代熱く燃えて90年代バブル崩壊と共にはかなく消えた。

カリスマの教えは若いスタッフを熱くし、熱狂的な信者に変え数々の伝説を残した一方で経営者としては仲間に恵まれず、不本意な結末となった。

僕は『道楽屋』の最後を見届けて、仲間と会社を作り店を始めた。日本経済は大失速の時代に入りその後も混迷を続けた。それでも10年続けて事業譲渡という形で別のアパレル会社に吸収してもらった。そこでも10年以上勤める事になる。

長いキャリアの中で今も思い出される事は初期の『喜びの日々』である。

心が震える商品との出会い、感動と笑顔、僕らが当時、お客さんと分かち合ってきたものは「ファッションの喜び」「店」はまさに共感の場だった。

カリスマは僕に教えた「販売とは、商品への共感現象であり」「感動を伝える事が接客だと」だから「商品の魅力」=何がいいのか!を分析させられ、その良し悪しで「感性」を量られた。

 

あれ・・・またかなり脱線しているので元の話しに戻そう・・・。

1983年インターネットが誕生する。

30年間かからずに、それまでの社会や生活を根底から変えてしまった。

 

個人がどのように使っているか?という問題では無く、取り巻く社会そのものが変わってしまったので、嫌でも巻き込まれしまう。

 

この影響は今後も続き、良くも悪くも私達の社会生活に大きな変化をもたらす事だろう。

インターネットはその特性ゆえに横のつながりを希薄なものへと変えてしまう。

確かにボーダーレス、インターネットを介して家に居ながら、手軽につながりの輪を広げられる可能性は持っているが、共有・共感に至るまでには長い道程であろう。

これは社会性の問題である。かつては大勢との関わりの中で社会生活が営まれた。

嫌でも他人と関わりを持ち協調する事は人の定めだったが、これを否定するように機会はどんどん減っていき、人はより内向的な方向に進んでいるように思う。

これが、人にどんな影響・弊害をもたらすのか? 考えただけで恐ろしい。昨今、世間を騒がしている独りよがりで常識を逸脱したような犯罪はその表れではないのか!

「店」は喜び共有・共感の場・・・

今も存在意義はあるのかという事

世の中が便利になる事は大変良い事であるし、個人が尊重されプライベートが確立されることも否定する気は毛頭ない。

ただ、『個性』『独自性』『マイノリティ』というのは集団の中にあってこそ、輝きを発するものだ。閉鎖的な空間で育つものでは決してないし、一人ならば意味を持たない。

 

僕らは「何かを共有する事や共感し合う素ばらしさ幸せ感」を知っている。

それが人のこの上ない喜びであり、社会愛の本質だと僕は思う。

 

『令和』という新しい時代を迎える。

 

『明治・大正・昭和』身近にあって当たり前過ぎた他人との係わり、それによって自然と感じてきた共有・共感の心(社会愛)は社会を作り上げていく原動力だった。

 

『平成』は社会や文化が成熟する中で豊かさや便利さと引き換えに、一見 面倒な他との係わりや協調を遠ざけた時代だった。大災害の度にボランティアや支援が声高に叫ばれたが、そんなに大それた事では無く、もっともっと自然で身近な社会愛が必要ではないか。

文字にすると何か仰々しい、僕 自身も社交性には乏しい性格だがいわゆるサービス業に長年従事してきて「店」をこよなく愛している。今流に言えば「店」とは、ひとつのコミュニティーだ。人が集まり、やがて共有・共感(社会愛)が自然に生まれる。もちろん嫌な思いもするかもしれない、分かり合えない人にも出会うだろう、それこそ社会だ。

僕は「店」(空間)が好きだ。

そこには造った人の志や思想・センスなどなど色んなものが詰まっている。それは店主のものだけでなく集まるお客さんのものだったりもする。気に入る「店」(空間)に出会う事はこの上ない喜びだが、そうは無い(無理に探さず自然に任せて)だから

Fujisawa Quality【F,Q】というサイトを作り紹介している。

僕は「店」(空間)を造りたい。 営利目的に興味は無いが「成り立つ」ことすら難しい時代だ。できる事ならFujisawa Quality【F,Q】のリアル店舗を作って、日々の中で自然に

共有・共感の心(社会愛)を沢山生み出せる人の集まるコミュニティーにしたいと思う。