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すごいな~『亀吉』との出会い③

本日、新元号が発表された。

前の時代・・・昭和が終わり平成を迎えた時、1989年1月8日(平成元年) 僕は25歳 東京で5年目春、原宿表参道の小さな店をまかされていたのを思い出す。あの時は明治通り・表参道にも半旗が掲げられて、店を開けるだけで非国民みたいな自粛ムードが2週間くらい続いたのを覚えている。

新元号への切替が平穏に行われている事ひとつを取り上げても、天皇の生前譲位への英断は見事という他ない。既定路線・慣習を変える事の難しさを思うと陛下の功績は大きい、それを穏やかにやってのけた凛としたお姿、昨今の政治家達にも少しは見習って欲しいものである。

 

さて、文字通り新しい時代の幕開けだ。

これが国家・民族にとって大きな節目となり、新たな日本の形を描く原動力となる思想や概念誕生の機会になる事を切に願うところだ。

『昭和』は『創造』の時代だった。

昭和20年に大東環戦争に敗れたが、あれは創造のプロセスであったはずである。ちなみに種は『明治』にまかれていた。そして『大正』『昭和』の時代に至る所で芽を吹きたくましく成長した。それを力強く支えたのは、焼け野原の日本国土に仁王立ちした僕らの親のまた親の世代である。僕はナショナリストではないが、勤勉さや志しへ誠実な国民性は、日本人として大いに誇りに思う。

 『平成』の解釈は別の機会にするが一言で言うなら『崩壊』の時代と言ってよいのではないか、表面化しないよう取り繕ってはいるが『実は壊れていた』というものが今後も沢山露呈する事だろう。

『創造と崩壊のメカニズム』は時代を生きる人の心の中に存在する。

『団塊の世代』『団塊ジュニア』と呼ばれた親子2世代の情勢が正に『平成』31年間を表している。経済の絶頂とその後の衰退の中でおきた『ボタンの掛け違い』と『喪失感』はこの先も長く影響を及ぼす事だろう。『令和』を『平成』の闇から抜け出す時代とする為には繁栄と衰退の中で失った『志』を持ち直す事しか道はないのである。

『それはどういうことか・・・』

もはや人口構造の短期的で劇的な再生は望めない(消えた第三次ベビーブーム)これまでとは全く違うアプローチで成長をイメージ出来なければ再生は叶わない、延長線上にそれは無い、

だから『新たな世の中を創る』という

建設的で理想に熱い心から生まれた純粋な

思想や概念=『志』の種まきが必要なのである。

 

ここでようやく『亀吉』の登場である。

NPO法人というものが社会のメカニズムの中で、どの様な役割を期待されているかは

 すごいな~『亀吉』との出会い① で紹介した。

そして数々の事象に対応して具体的に行動するシニアライフセラピー研究所というNPO法人の事業内容についても すごいな~『亀吉』との出会い②で紹介済みである。

 ここからは僕の願いであるが 『大義』を掲げて欲しい!

本来ならば政党の役割なのだろうが全く機能していない、今や政党など役目を終えた負の遺産でしか無いのではないか・・・行政は平等という原則の元で、一定の型が出来上がった。フレキシブルな対応にそぐわない以上は、もはや政治家の判断など要らない。   団塊ジュニア世代を導けなかった政治的責任は計り知れない程大きいのに、未だ社会は認識せずに政治家に責任を問う事も無く現体制を続けさせている。仮に政党政治体制を続けるのならば、なんの生産性も持たず公益にも帰依しない政党など解散させてNPOなどの民間公益団体が政党を組織し国の舵取りに参加出来るような仕組み作りが必要ではないかと、僕は真剣に思う。

社会が進むべき方向へ 導きの種まきである。

現代は継続的な指数データの管理によって、かなり具体的な予測を基に物事の方向性や優先順位を決められるようになっている。あとは実行力の問題だけである。ここで大切な事は実際にプレイヤーとなり行動を起こすのは社会そのものであるという事で、例えば人口減少に歯止めをかける出生率は2.1である。これを社会全体の目標とするならば多くのアイディアが生まれるはずである。

僕なら『子供は社会の宝』という概念の基で、まず中絶堕胎を原則禁止とし、妊婦の希望に即した体制や制度を作って行く。もはや産みの親が子を育てなければいけない社会では無いのだから倫理感においても命の尊さを優先して良いのではないかと僕は思う。

この様に具体的な事象を専門的かつ恒久的に取り組んで行く集団・組織が数多く生まれ、

『志』や『大義』を語り、マスコミが本来の役割である倫理感に基づいた監視役を果たす事により、よりよい社会の実現に向けた能動的な取り組みが可能になると僕は思う。

その第一歩として、公益を目指す民間団体がまずは『志』や『大義』を語って欲しい。

社会が進むべき方向を力強く示して欲しい。

そして国家のぜい肉とも言うべき、無用の長物と化した旧体制は潔く身を引いて欲しい。首のすげ替えパフォーマンスでは無く体制の返上が急務と感じる。

見回して欲しい 世界はグローバルという潮流が国家という垣根を飲み込もうとしている。今後は国家というコミニュティー単位そのものが不要になる時代が来ると僕は思っている。

 

少々、言葉が過ぎたかもしれないので終わりにしよう。

とにかく公益への新たなアプローチが次世代のより良い社会創造の鍵となる。

『亀吉』との出会いはそれを考える良い機会となった。

 

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