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長編手記「おわりはじまり」第六回  公開文

【読者の皆様へお断り】

第五回で告知したように、間抜けな様を書いてみた。

出来る限り他人の誹謗中傷を避けて特定出来ないように、かつ事実だけを書き

記したつもりだが、後で読み返すと、それでもキツイ内容に感じた。

自分の羞恥心というよりは、発表した後に面倒くさい事になるのが嫌だ。

そこで、アメリカの公開文書のように「黒塗り文書」で、なんだか訳のわからないものにする事にした。

楽しみにしてくれていた人には大変申し訳ない、またどうしても読みたい人は

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前提で個人的に全文のお知らせを検討する。

 

 

201●年●●月僕は●●●●●●会社を辞めた。複雑な思いはあったが取引先の引き継ぎ、営業の受け渡しなどには気を使い、置き土産のつもりで精一杯頑張った。

残念ながら、自分が役員として●●●●●きた●●●予定通りに●●●●●かった為に、退社後も事務所の一角に居座り続ける他なかった。

●●●煙たがれ、僕と行動を共にするしか選択肢が無くなった●●1名と共に、

一室を陣取り、新たな生き方へ準備を始めた。正直、自分が●●する事になるなど、つい半年前には考えもしなかった。●●●●自分が必要だと疑いもせず思っていたし、愛してもいた。その頃の●●●真っ暗闇だった。●●●●メーカーとして●●●●年を越えていたが、●●●である●●●●●なって数年が経過していた。経営状態は著しく悪化し、●●●●メーカーの要と言っても良い●●●●●一手に引き受け、長年コントロールしてきた●●●●●●●●●●、突然 ●●●●●宣言をして●●●●●が●●●●●てからは、本当に苦しかった。それまでの僕は●●●●●お客様と向き合い、受注と納品をやっていれば良かったが、受注を取る為には、見合った まともな●●●●●ために、新たな●●●を求めて自分が動かなければいけなくなった。

なぜこんな事に・・・当時、の●●●●●担当者だった人間1名を除いて、全ての社員は●●●●を●●●行為だと思った。後にこれは大きな誤解であった事を知るのだが。

 

皆、必死で乗り越えようと努力していたが、、、,ふっと気づくとそこに●●●●●なかった。 いったいどれ位前から●●●●●のだろうか? そういえば最近は●●●●●●●・・・そんな感じだった。「●●●●●●●●●●くれないから・・・」「●●●●●●●●●●気がいいから・・・」こんないい様だったと思う。

「●●●●●見方を好む」そんなタイプで、他人を批評し●●●●●く笑い●●●●●●●●だった。

ただ、●●●の営業力を●●●は大いに信頼していた。だから●●●●●●した●●●際にも●●●●●押したらしい。僕らにとっては●●●●●だったし現役●●●●●●●●●でもあるので、●●●● ●●もなかった。

会社の●●●●●●●●●●●●●が●●●●なった事が「原因」に他ならなかった。

「理由」は 本人にしてみれば色々と言い分はあったのではないかと思う。

●●あった売上は半分近くまで下がっていた。程なくして工場の支払いに困るようになった。●●●●のメインは1型の仕事で約●●●万円の代金が必要だった。これが●●●万円以上に変わった。この●●●●●の仕事が●●●●●を賄う生命線だった。

また、●●●●●●●●●●●●せんなどとは取引先に言えるわけも無く、そんな中で、●●●●●は続いた・・・やむを得ず●●●●●●万円借用書を書いてもらい●●●●●●てた。それが201●年の●●月の事、●か月後に予定通り●●●●●●出来たのだが、これが後に続く大きな過ちだった。201●年●月には●●●万円以上の●●●●●なっていた。

当然そんな●●がある訳も無く、●●をしてかき集めていた。「●●●●●●お金だから」と描いた●●●●を自分に言い聞かせ好転を信じようとしていた。

一方で根本的な問題について、●●●●●を交わすようになっていたが、●●●●●はむしろ増えた。多くの言葉を交わしたが無駄だった。そして決定的な事実を知る事になる。それは●●●●の陰口だった。

しばらく前に●●●●で●●●●●と聞いていた別の●●●●の●●●●だった。●●●に●●●●、日々の生活の●●●話しなど、確か20代後半から30代前半の女子にはたまらないキャピキャピ話しである。その●●はなんと●だというのだ。

当時●●代半ばで●●●●●ているのは知っていたが、「まさか、、、」啞然とした。

極み着けは「●●●●帰るとソファーで●●●●けどディナーが出来てるの~」との事である。鵜吞みにはしていなかったが●●●●●を「●●ビジネスを●●している」位の事を●●●●●。泣いてしまった。そして深く心に言い聞かせた「どうすればいいか、考えろ・・・考えろ・・・」まだ当時、●●含めて●●名もの人間がこの●●の●●●●●していた。結論まで時間は要らなかった。全ての関わる人間が●●●●●

可能性が唯一あるとすれば、「僕が辞めます」取引先の引継ぎは最大限の努力で先々への見通しを付けてから「●●●●●」その代わりに、見込んでいた●●予定通り「●●●●●する」という条件を「やる●出して●さいよ~」の言葉と合わせ●●にぶつけた。

●●は●日後に現れて「●●だけど●●●●●ございます。●●●ます。」との言葉で

●●●●●。201●年●月には全ての取引先への挨拶も終えて後は●●を待つばかりだった。●月●●日に●●●万円、●月●●日に●●●万円、その他残り●●●万円あった。

しかし期日に入金されたのは●●●万円だけだった。

よくある間抜けな●●●話しであるが、ホントに抜け出せずズブズブになる。

博打の負けを取り返そうとあがく様と似ている。

 

201●年●●月 あれ以降、毎月●●万円づつ●●が●●まれていた。このまま、ここに居座りを決め込んだ所で●●●●が増える事は無く思われた。僕の方は、進歩無く立ち止まっている感じが不快でならなかった。とりあいず元の●●は、●●もあれ以降は日々●●●●●いるようで、あのタイミングで僕の他にもう1名●●した事により、大幅なコストカットにはなっているはずだ。●●●●●●●●●●●、Ⅴ字回復も夢では無いはずであった。早々に新しい●●●●らしき人間も出入していたので、不快ながらもひと安心である。

そこでこちらも201●年●●月●●に事務所を借りて拠点を移した。

今思えば、これも無謀なフライングであった。

案の定201●年●●月以降●●●が●●振込まれる事は無くなった。もはや専門家に委ねるより他、手立ては無かった。これさえもはや泥沼の判断であるが、どうしても諦める事が出来なかった。後は悲しい結末、裁判所に申立て丸●年後の201●年●●月●●日に、元の●●の●●●●●●の●●●●●●●●口座に●●●をかけたが、完全に空振りに終わった。なんと●●●●は●千円しか無かった。こちらが裁判所に積み立てる準備金を調達するのに手間取っている間にメイン取引先の●●●●まで他に渡してしまっていた。こちらとしてはもはや●●●●手立ては無い、完全な敗北である。

●●●も居なくなったと聞いた。●●●もの●●したものなど様々らしいが、●●●も移り、後には●●と新手の怪しい●●●●が●名ほどいたそうであるが現在はわからない。おそらく、上手に逃げ押せたのではないか・・・。

 

僕は2018年の正月を完全に打ちのめされて迎えた。●●●の話しだが、僕はこの人が好きだった。彼は●●人だったが誰よりも会社を愛し、情熱を傾けた。正に働く

●●人の勤勉さは●●人以上で仕事に尽くすといった感じだった。そこには拾い上げ育ててもらった●●●●への恩に報いる気持ちが深くあった。

その彼も●●●●はがされ、●●●●に対しての●●の為、●●の危険が出るまで追い込まれて、手を引かざる得なかったと聞いた。

やはり慢性的な●●からの●●●が雪だるま式に膨らんだ結果だった。

 

愛情は時に判断を曇らせ、悪しきものに付け入るスキを与えてしまうのである。

 

正月が明けて僕は夜にアルバイトを始めた。流行りのダブルワークである。

大きな負債は人生設計そのものを変えてしまった。家庭に理解を求める事は叶わなかった。妻にも子供達にもすでにそれぞれの生き方があって、それは僕の思いと交わる事が無く、別の道を進んだ。それを強引に引き寄せる力は無かった。

例えようのない喪失感の中、それでも生きて行かなければならなかった。

3月には、生活に少し慣れて心だけは穏やかな日々を過ごした。

 

だが、この半年後に倒れる事になる。